かもめ食堂の話
かもめ食堂を見ました。
公開当初からジワっと気になってはいたんですが邦画に対する熱量があまりないので見るのを後回しにしていました。
先日ふとアマプラのトップに出てきて
思い立って見てみたところとても良かったので感想メモ書き。ストーリーは割合します。セリフとか結構うろ覚えで描いてます。
サチエの人や物の価値観がとても良い。
今手にしているものに対する執着がなく、変化を肯定する姿勢が素敵だなあと。
好きなことをするというよりやりたくないことをしないんです、と言っていたけど本当にこれが出来る人って少ない。
サチエは実在する人物じゃないので本当にあんな風に生きられるかどうかは別として。
その時は辞めちゃいますってアッサリお店を辞めることだって頭の片隅にあるんだ…
何がなんでもこのスタイルでお店を成功させなきゃ気が済まない!とかではないんだなあ。
マサコの荷物が見つかって、帰国する?みたいな雰囲気になった時やミドリが私が日本に帰っちゃったら寂しいですか?って聞いた時も
その人にはその人の人生があるし、ずっと変わらないままではいられないですよ、って。
それに対してミドリのいい感じに変わっていけるといいですね、って言うセリフも良かった。
私は変化を嫌う性格な割にキャパが狭くて
こうでなくてはならない!みたいな固定概念でガチガチになって首が回らなくなることがよくあるのでとてもこのシーンは刺さりました。
今手にしているものは変わらなくても自分はどう頑張っても変わっていくので、いつか合わなくなる時が来るんですよね。人にしろ物にしろ。
そんな時にサッと手放せるようになれたらもっと肩の力を抜いて生きられるのかもしれない。
キャパが小さいならコンスタントに今手にしているものが本当に今の自分にフィットしているのかチェックして風通しを良くしたいものです。
荷物を紛失されたマサコがミドリに大切なものも入っていたでしょ?って言われてはたと考えて大切なもの?入っていたかしら?みたいなこと言うんですけど
そりゃあ日本から身一つでフィンランドに来たんだから主に必要な物はキャリーに入っているはずなので大切なものに決まってるんですよね。
だけどそれは今までの人生で大切だと思って後生大事に抱え込んでいた物であって、よく考えてみたら今この瞬間はそうかしら?果たしてそこまでして抱える価値のある物なのか?ってことなんだと思います。
なんだかとても考えさせられますね。
マサコの荷物は終盤の方で見つかったんですけど、ホテルで開けてみたら謎のキノコが目一杯詰まっており…?
とかちょくちょくファンタジー要素がブッ込まれてるところもいいですね。
大切だと思っていたものはそんなに必要なものではなかったのか?あのキノコ、森で落としてきてしまったキノコと似ているように見えたのですが結局何を意味してるんでしょうね?
私の好きな宇多田ヒカルの曲の歌詞に
失くしたものはもう心の一部でしょ という一節があるのですが、これってこういうことですかね?
落としてきたと思ったものは手元になくてもちゃんとあなたの心の中にあるからもう大丈夫ですよってことでしょうか?
マサコが変なおじさんから猫を預かってしまったので、もう少し居ることにします、って流れに身を任せちゃえるところもかっこいいです。
身軽になったらイレギュラーもスッと受け入れてプラスに変えることができるのかな。
かもめ食堂にはそれぞれいろんな事情を抱えた人が出てきます。食堂の外からずっと睨みつけて来る人に対してサチエがほんの少し会釈して笑いかけるシーンとか
悲しみに暮れてる前の店の店主とか
ミドリがフィンランドに来た経緯が 来てやったんです!ってところ以外に明確に語られるシーンがないんですけど、サチエの手料理に泣きそうになってるところを見るといつもは自分が料理を出すばかりで人から料理を出してもらうことが少なかったのかな。
ミドリがサチエより結構ウエットでヒルトネンを訝しげに見たりお客さんからお酒を勧められて後ずさったりおにぎりの話を聞いて涙ぐんだりしててなんだか可愛く見えてきます。
役者さんの細部の演技も良い。
実在するカフェのアアルトは日本にもお店があって何度か行ったことがあるので嬉しかったです。
あそこのシナモンロールはおいしい。
見終えた後にスッと気持ちが軽くなって、なんで気持ちが軽くなったのかなーと考えてみたら今自分が日々考えていることに対してこうしたらもっと楽になるよ、みたいなヒントが多くて
公開から随分経ってしまったけどこのタイミングで見れてよかったです。