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ただのオタクです

おじやとお粥の話

ストウブでお粥が作れるということを最近知りました。

米が炊けるんだからそりゃお粥も炊けるに決まってるんですけど、お粥というものが日常から遠くて頭の中から消滅しておりました。

なんでそれを突然思い出したかというと胃腸風邪でダウンしておりまして、しんどさの峠を越えて寝過ぎて寝れないしゴロゴロしながら何となくインスタを見ておりました。

ショート動画を延々と。時間が溶けていくやつですね。

あまりにも暇だったのでそうやって時間を溶かして凌いでいたんです。

そうしたらほっこり系の暮らし?動画をあげている方のショートでストウブでお粥を作るレシピが出て来て、

そう言えば昨日医者に食欲がないという話をしたらお粥を食べるといいです、とか言われたっけ…!ということを思い出し

うちにストウブがあることを思い出し

貰い物のそこそこいい米がある事を思い出し

こう、トントン拍子に思い出して急に点が線になったわけです。

胃腸風邪だしまさに今がお粥を食べるタイミング…!

で、次の日の朝早速作ってみたらめちゃくちゃおいしくて、、、

感動してしまいました。

うちにある炊飯器がそこそこいいやつなんでストウブには米炊きの出番がなかったんですけど鋳物のポテンシャルのヤバさを思い知った。

全然普通に出来たし(はじめちょろちょろ的な複雑なコツがあるかと思った)

これレギュラー化してもいいんじゃ!?!?

と思いました。

私はたまに朝食で鍋の残り汁なんかがある時は冷凍ご飯を入れて雑炊にしているのですが、これを生米使っておじやにしたらいいのでは…?

何故か冷凍ご飯で雑炊がセオリーだったけどそんな謎ルール要らんかったわ!

と、なりました。

多分ですけど雑炊は手軽に作りたいしわざわざ炊き立てのご飯ある日にそのポテンシャルがあまり生きない雑炊をチョイスするのが癪だったんでしょうね私は。

変なところでズボラなのに変なところでこだわるせいで

もはやどういう理由かも忘れたままの謎セオリーがただただ存在しており、頑なに守っていることって他にも無意識にありそうだな。

その理由がとっくにクリアされているのに型だけが残っている。みたいなやつ。

それをする理由はもはやないよって。

そのせいで他にもっといいのがあるのに気づけないからこれはあんまり良いことではないな。

風呂場に入ったら最初に椅子にシャワーでお湯をかける癖がついてて、冷静に考えたらこれって無駄な動作だな…と思ったんですけど、

多分実家にいた時のなごりで

実家は浴室が冷え冷えで椅子に先にお湯かけないと氷のような冷たさの上に座らなきゃいけなかったんです。

これに限らずあらゆるもの/ことのなごりは習慣となってその人に残されているけれど、暮らしにおいてはなごりって必要ない気がします。私は楽に楽しく心地よく暮らしたいなと思っているので。

結局今の自分にフィットするスタイルじゃないとそれは叶わないことなので。

そういう習慣の棚卸しって大事だな。

毎年毎年やることでもないけれど、何が物凄く小さな事がきっかけでも(それこそ今回みたいな胃腸風邪になったとかいうレベルの)見直せることってあるんですね。

今年は何かと体調崩しがちで、気をつけないと!と思っていましたが

これって何かしらサインというか、きっかけ?みたいなことなのかもしれません。

そんなことをふと考えたのでここに書いておきます。